【展示】パンデミックを感じた。「Chim↑Pom  May, 2020, Tokyo / A Drunk Pandemic」

パンデミックがテーマの展示が開催されている?しかもChim↑Pomだと?!

また外出自粛になる前に見とかなきゃ!と思い、Chim↑Pom の個展、「May,2020,Tokyo/A Drunk Pandmic」に行ってきた。

 

 

Chim↑Pomとは何者?

Chim↑Pomは2005年から活動しているアーティスト集団だ。鋭い独創性と行動力で、意表を突くような、たまに刺激が強すぎて捕まるのでは?と心配になるような作品を作り続けている。過去には渋谷センター街で、ドブネズミを自ら捕まえてピカチュウ風の剥製にしてしまう衝撃の作品を発表している。

今回の展示も、わたしは大変ビクビクしながら会場へ向かった。

 

①A Drunk Pandemic

昨年、Chim↑pomマンチェスターインターナショナルフェスティバルで制作・発表したインスタレーション作品。19世紀にコレラが蔓延したイギリスのマンチェスターでは、亡くなった人を地下に大量に埋葬していたそうだ。その廃墟にChim↑pomはビール工場を設置、また公衆トイレをパブに作り替え、来場者に振る舞った。

今回の展示では、観客は工場見学ツアーの一員となり、ガイドに案内をされる様子を映像で体感できる。


f:id:imasaraaaa:20200709210041j:image

映像を見る展示会場は真っ暗

 

上映されている部屋へ入って、わたしは「ああ、ちょっと、途中退出したいかも、、、」と、出口に行くか悩んだ。

実際に死者が埋められた地下が再現されている展示会場は、真っ暗・地鳴りのような音・ヒヤっとする温度・不穏な空気が漂い、得体のしれない恐怖、臨場感が物凄い。

特にツアーガイドから聞かされる、コレラの死者が多すぎて墓地が不足し、狭い空間に死体を無理やり押し込んでいた生々しい話。そういえば、どんどん新たに墓地が掘られるも、すでに場所が足りなくなっている海外のニュース映像と重なって、現在進行形なんだなと背筋がゾクゾクした。


f:id:imasaraaaa:20200709210059j:image

ビールの空きビンが沢山並べられている

 

一転して後半では、醸造したビールを、公衆トイレを改造して作った「パブパンデミック」でChim↑Pomのメンバーが振る舞う様子が見られる。ビールを楽しく飲み交わす様子から、過去から学んでいない現代人の愚かさをひしひしと感じた。しかし痛感した割に、わたしは展示を見た後、近隣でおいしいレストランを探し、ちゃっかり評価の高いカレーを食べた。人類は本当にのんきなもんである。


f:id:imasaraaaa:20200709210154j:image

パブパンデミックを再現してある。


f:id:imasaraaaa:20200709210228j:image

 

②May,2020,Tokyo

緊急事態宣言下の屋外で作られた作品だ。サイアノタイプという液体を使って感光させ、看板に文字を焼き付けているらしい。

全貌がわからないコロナが蔓延している街、その空気を吸い込んで作られた作品。速報性もさることながら、あの緊急事態宣言の様子が、目に見える形になっているのは、一言では言い表せない、得体のしれない怖さと、一方で少し安心するような、不思議な気分にさせる。


f:id:imasaraaaa:20200709210358j:image

f:id:imasaraaaa:20200709210338j:image

 

感じて、考えさせる

展示を見て、個人的に感動したのは、単純に「コロナに負けるな!」だとか、「すぐに対策を打つべき!」という感情的な主張ではなくて、格差・公衆衛生は感染症の広がりと密接に繋がっている事実を、心に訴えかけてくるところだ。

わたしはここ4か月ぐらいずっと家にいるが、感染者を人数でしかとらえなくなっていく感覚があったし、知らぬ間に自分の内面ばかりに目がいってしまった。外、日本だけではなく世界規模で見ることなんてすっかり忘れている今、ヒリヒリするけれど、見て感じる・考えるべきことがたくさんある展示だと思う。

 

2019年にパンデミックを先取りして題材にしていたことに、「Chim↑Pomやべえな」と思わずにもいられない。マンチェスターの作品はコレラを題材にしているが、こんな状況じゃなかったら、まったく違った感想を持っていたはず。つい最近まで、パンデミックゾンビ映画とかゲーム世界の話だと思っていた。それが今やである。コロナ禍の今見るには、リアリティがありすぎる。さすがすぎる。

 

感染予防のために、いろいろな行動の選択ができるが、ギャラリーも消毒液設置や入場制限など対策はくまなくしてくださっていた。

 

決して前向きな気持ちになる展示ではないけれど、見れなくなっちゃう前に。

 

Chim↑Pom May, 2020, Tokyo / A Drunk Pandemic

https://bijutsutecho.com/exhibitions/6007


f:id:imasaraaaa:20200709210610j:image

展示会場へは搬入サイズのエレベーターでしか行けなかった。一人で乗ると怖いなぁ。終始、ビクビクしっぱなし。

 

真剣に聞くから、音楽サブスク。

つい先日、私は晴れてデビューした。

 

Spotifyプレミアム会員の話である。

 

登録してしまうと、もう沼である。甦りし、音楽の楽しさ。世界に存在する楽曲が新旧問わずいつでも聞き放題なんて、財政システムどないなっとんねんと思う。今更ながら、サブスクリプションに感動している。あの妙に頭に残るSpotifyプレミアムのCMからも卒業だ。

 

実のところわたしは、音楽サブスクは無課金でも充分曲聞けて、事足りる。むしろシャッフル再生は新しい楽曲に出会うことができて、最高とすら思っていた。

 

けれど、CD屋に行き、ハッとした。これでいいのだろうか。

 

緊急事態宣言解除後、とにかく沢山の音楽に触れられる場所に行きたいと思い、わたしは営業再開していた渋谷のタワーレコードへ行くことにした。

 

何年かぶりに足を踏み入れた渋谷タワレコは、相変わらずCDがぎっしり棚に詰め込まれていた。初めて行った時、地下1階から9階まであるなんて天国かとテンションが上がったのを思い出しつつ、エスカレーターで3階(J-POP、J-ROCK、J-PUNKフロア)を目指す。

 

けれども、フロアに到着しても、CDを前にしても、中高生時代の高揚感がないのだ。店内の配置などほぼ変わってないのに、どこに行けばいいのか勝手がわからず茫然とした。

 

「とりあえず好きなアーティストの棚に行き、新譜は発売されていないと知りながらも、CDの品揃えを眺めうろうろする」

ということが出来なくなっていた自分に気づき、寂しさと危機感を覚えた。

 

思えば、音楽の楽しみ方が今と5~10年前では全く変わっている。

 

私は中高校生の時、とにかくCDを買って聞く(クレジットも読む)、雑誌でインタビューを読む、ライブを実際に見に行く、ラジオでいい曲を発掘する、スペシャやMTVでMVや音楽チャートを見る、好きなアーティストのルーツになった曲を漁る、ライブ開演前や転換中に流れている曲を後で検索する等、いろいろな方法で曲やアーティストや音楽について貪欲に知ろうとしていた。知りたいと当たり前に思っていた。

 

それが今や、CDのフラゲどころか発売日も把握していないし、シャッフル再生ばかり利用しているからアルバム全曲をじっくり聞くことがない。

 

ここからは完全に自論だけれど、ここ4、5年の音楽シーンを取り巻く日本のリスナーはかなり変化したと思っている。(自分も含め)

 

まず、あまりにも音楽を聴くことが簡単になってしまった。スマホを最低2回タッチするだけで、音楽は再生できる。

 

例えば、CDとウォークマンが主流だった2000年代半~2016年ごろまでは

「CDを買う・借りる→パソコンに取り込む→ウォークマンに取り込む→再生」

の作業が必須だったが、現在は画面をタップするだけに完了だ。

 

必然的に聞きたい曲だけ聞くことができるようになったため、好みじゃないアルバムの3曲目あたりを忍耐強く聞く必要もなくなった。

(故に真反対のじっくり聞くレコードが流行っていると考えられるけど、話が逸れるのでやめとく)

 

また、無料がいい・安い方がいいという気持ちに、音楽を聞く側が勝てない部分も大きいと思う。メジャーレーベルから発売されるアルバムは大概3000円前後で高くて、特に学生なんてホイホイ買えない。その代わり違法アプリで音楽を聴くことが容易な場合、人間つい揺れ動いてしまう。(もちろん違法はダメ)

 

他にも要因はいろいろあるけれど、楽曲を1曲ずつ、丁寧に聞かないようになっているなと思う。アーティストに対し、「ちゃんと曲を聴いてなくてすまん」という申し訳ない気持ちで一杯になった。

 

ここで従来だったら、またはオールドスクールなアーティストだったら「CDを買おう!」てな話の流れになりがち。

 

でも今回、わたしがタワレコで「ハッ」とわかった大きな気づきは、アーティストが真剣に作り上げた曲を、聞く側も真剣に聞こうという姿勢だ。

 

制作方法に進化はあれど、作り手の熱量やパッションは変わらないはず。どの時代でも、いいものだったら相応しい対価を得るべきだ。

 

というわけで、ひとまず、Spotifyプレミアム会員になったのだった。セットリストのように考えこまれた楽曲順序に沿って、さまざまなアルバムを聞きなおしている。冒頭で書いた通り、非常にエンジョイしている。

そして、ときめきがあり次第、CD現品をタワレコに購入しに行こうと妄想中である。

 

あ〜、お金貯めよう。

それまで待っててね、タワレコ



f:id:imasaraaaa:20200704223953j:image
ちなみに最近、愛用のウォークマンが壊れてしまった。変わるべき時か、、、。

 

【制作メモ】 写真をリメイクする

f:id:imasaraaaa:20200421132815j:image

 

私は普段こんな感じで、写真の作品を作ってます。

よくL判の印画紙にプリントするのですが、数が多くて、展示後片付ける場所に困ります。


f:id:imasaraaaa:20200421134127j:image

行き場のない過去写真たち

 

まさしく掃除の最中、やり場に困ったので、試しにリメイクしてみることにしました。

 

作品の制作メモです。

 

f:id:imasaraaaa:20200421132446j:image

こんな感じ。平行に切った。

 

f:id:imasaraaaa:20200421132401j:image

これを


f:id:imasaraaaa:20200421132407j:image

3分割

 

f:id:imasaraaaa:20200421134100j:image

違う写真を挟む


f:id:imasaraaaa:20200421132418j:image

オリジナルマンション柄の畳も作れます。

(これは下関の畳と浅草のマンションの写真を組み合わせた)


f:id:imasaraaaa:20200421152430j:image

色温度を調整すると、統一感が出ました


f:id:imasaraaaa:20200421132432j:image

栞にも。結構馴染みます。本にビルが建ちます。

 

水平に撮ってたからこそなせる技でした。

栞として置いといたら、貰う人いたりしないかなぁと思いました。展示までにもうちょい工夫したい。

 

 

 

▼インスタも是非フォローお願いします!

https://www.instagram.com/imasaraaaa/

 

家って凄いんじゃないか?

家って凄いと思う。

だって、雨風をしのげるのだ。屋根があるから濡れないし、壁があるから髪が乱れる心配もない。

好きな家具だって置けるし、快適な温度に調節もできる。機能性抜群だ。

なるほど、お金がある人が、デカい家に住む理由も納得がいく。


f:id:imasaraaaa:20200402125319j:image


ここまて読んでくれた方、安心してほしい。世紀の発明品!とかではなく、当たり前なモノを急に褒め始めたのにはちゃんと理由がある。

 

ここ一ヶ月くらい、風が強い日が多いように感じる。春一番のような飛ばされそうになる強さのヤツが、2日に一回は吹いている。

確か、気圧の差が大きいと風が発生するんだっけと、曖昧な気象の知識を思い出した。

 

だから
雨と快晴が交互に来てる状況=風毎日ツヨイ

初めて気象現象を実感した。理解できた。

 

でも、納得は行かない。何というか、これまでに感じたことがない、怖いレベルの風が吹いているのだ。

真夜中に寝るわけでもなく漫然とゴロゴロしていると、急に

ビュウうううぅぅぉぉごごおおおおおお

と窓に風がブチ当たる音がする。

怖い。我が家のゴミ箱は無事だろうか。明日の朝、散乱してるんじゃないか。安否が思いやられる。

 

 

でも。私は大丈夫。

いつだって、吹き飛ばされたことはない。

 

 

だって、家の中にいるから。

もちろん、過信することは出来ない。オズの魔法使いみたいに家ごと違う街に飛んでたわ!となることも、巨大ハリケーンとか来たらあるだろう。

だが、現状怖いと感じる強風でも耐えられるのだ。家は。

 

守られている、とはこういうことかと感心した。

何千年もの人間の知恵と工夫が詰め込まれて、家は完成しているのだ。歴史である。城と同じだ。博物館とかに展示する扱いでも良いのではないか。そうだ、家博物館を作るべきだ。


家にい過ぎておかしくなってきたのかもしれない。でも、家があることに私は感謝し続けたいと思う。

 

 

父と娘の戦い

あなたは両親のどっち似ですか。母?父?それとも、 橋の下から拾われてきた系?

違う、すぐふざけたくなりますが、本題いこう。

私は父親に似ている。と、最近気づき始めた。

 

親戚のおばさんからの電話に出たとき「あら、 お母さんにそっくりね」といわれるもんだから、 母似かと思っていたけど、違うようだ。

 

ずぼらさが似ているのである。そしてそれは、 生活で戦いを巻き起こすのである。

 

私の家は二階にリビングがあるのだが、 冷蔵庫に入っているペットボトルのお茶は、 なくなり次第1階のストックから補充する暗黙のルールがある。

つまり、最後の一滴を飲んだ者が、 次のお茶を取りに行くことになる。

 

普通の人であれば、思いやりの気持ちで、 次に飲む人のために持ってくるだろう。しかし、 我々そうはいかない。

 

階段の往復いやだ>おもいやり 

 

である。

めんどくささが勝るのだ。どうしようもない親子である。 だから太るのである。

 

遺伝のせい。父さえちゃんとしていればよと、 娘は思うわけである。

一方の父、「そんな沢山飲むつもりはない」 かのような顔でコップに少量注いでいる。父よ、足りないだろ、それじゃ。

 

さて、最近父は在宅勤務をしており、 私もこの春休みは自宅にいる時間が長い。

そう、お茶合戦の繰り返しなのである。


f:id:imasaraaaa:20200325182002j:image

ご覧いただきたい。今日も2種類とも見事にちょっとだけ。

 

残り数ミリを、チビチビ飲むのを繰り返す。

日々そんな感じだ。

 

この戦い、終止符を打つ日は来るのだろうか。(いや、 絶対来ない)
 

旅行に行けない気持ちを満たす本 パート1

旅行に行きたいのに、行けないのだ。 時期的にも世間的にもしょうがないのだが。 ここ最近は人に会うたびに「旅行行きたいっす」と話してしまう。 でも、とにもかくにも在宅である。

このもどかしい感覚、心当たりがあるなと思い返したら、 3年前の大学受験で出かけられなかったのと同じだと気付いた。 同時に、当時出かけたい欲をいかに満たしたか思い出したので、 今日はそれについて書き起こしていきます。パート1です。

 

「河童が覗いたヨーロッパ」 妹尾河童


f:id:imasaraaaa:20200311230905j:image

コレです

 

気づいたらしれっと家の本棚にあった本。昭和53年初版で、 小説「少年H」を書いたことで有名な妹尾河童さん著の紀行文ヨーロッパ編。 とはいえ、 教会建築や歴史のある建物・現地の人の手書きスケッチがこの本が魅力的なポイントだ。 鉛筆でラフかつ超緻密に書き写された絵と、 一字づつ濃い筆圧で記された文章が約300ページ続く。

 

また、 掲載されているのは空港や街の人に安いと紹介され、あくまでも“たまたま” 河童さんが泊まった宿の話だ。旅行ガイドブックのような「 この宿の温泉は~」とか「ごはんが云々、、、」 などお勧め情報はないので、豪華な旅とは決して言えないが、 背伸びしていない旅感があってスッと読めてしまう。

今思うと、国ごとの電車の車掌さんの制服や気候に基づくビデ文化の違いを比較しているのは実に地理っぽいのだが、当時志望校すら定まっていなかった高3の私は、単純に「おもしれ~」くらいの気持ちで毎朝15分の読書の時間に読み進めていた。まさか地理学科とか入学するとは思わないよね。

 

この本は宿と観光した場所の記録が主だが、 たまにエッセイ風の文が挟まれている。これが特に私は好きで、今でも繰り返し読んでいる。

中でも「旅の秘訣は得点法」という話は、共感だ。言葉が通じないことやマイナスな体験ばかりに注目するのではなく 、なんでもプラスにとらえると旅の楽しさは増すぞ、というのがざっと内容なのだが、 海外旅行で何かしらハプニングが起こる経験は誰しもあると思う。

ちなみに私はオーストラリアに行った時、シドニー空港に愛用の一眼レフを置き去りにした。帰国後気づき、 ロストアンドファウンドとメッセージを数日繰り返す惨劇があった が、ドタバタは海外旅行感があって案外楽しかった。( 無事見つかった)

 

キラキラした海外旅行情報や、海外での現地人との交流の様子は、 ネットで多く見ることができるけれど、 河童さん独特のユーモアあり、 時に辛辣な文章は他にはない爽快さがあるので、 普段本を読まない人にもお勧めです。