【講談】神田伯山がヤバい
神田伯山ってヤバイ!
(たぶん私が言わなくても周知の話だが)
何が凄いって、初めてのお客さんにもわかるように講談をやるところだ。正直、伝統芸能といわれるだけで、抵抗を感じてしまう気がする。高校の芸術鑑賞で見た歌舞伎や能は、やはり理解できなかったし、お笑いの方がいいなぁと思っていた。笑いって無条件に楽しい気持ちになるし。
しかし、そんな私でも、絶句してしまう程衝撃を受けたのが、神田松之丞(伯山の昇進前の名前)の講談だったのだ。
先だって松之丞を見ていた兄に「絶対見といたほうがいい」と勧められ、なんとなしに私は国立演芸場へ行った。
ちなみに講談とは、釈台という机のようなものと、張り扇という小道具を使ってリズムを作りながら、噺(はなし)を一人で読む芸だ。会話が続く落語に比べ、講談は紙芝居のような説明者も演じる。演目も落語は笑えたり、新作という現代風の話が多いのに対し、講談は軍記ものという戦の話が大半をしめる。12月14日に東京の泉岳寺で起きた、討ち入りで有名な「忠臣蔵」といった赤穂義士伝も代表的だ。
しかし講談のこの字も知らぬ私は、どうやら毒舌らしいという噂のみ知るまま、鑑賞に至ったのだった。
開始前の場内アナウンスが流れる。
「ご鑑賞に際しまして、いくつかお願い事があります。」
映画館の鑑賞マナーと同じような内容が流れる。
と思いきや、
「メモを取る、ビニールを触るなど、周りのお客様のご迷惑になる雑音、振動はおやめください。」
細かい。超厳しい。演目中は咳払いすら迷惑だというのだ。
今となっては慣れて当たり前になったが、初めて見たときは自分が話すわけではないのに異常に緊張したのを鮮明に覚えている。
その日の演目は「雨夜の裏田圃(あまよのうら田んぼ)」。連続物という、一話完結ではなく、日本のドラマのように話がつながっている噺の一つだった。村井長庵という極悪非道の悪人が、雨の夜に罪なき人を殺してしまうという、ぞっとする内容だ。
今の説明を読んで、すでに「むむ、ようわからん、なんか難しそう」と気おくれしてしまう人は少なくないと思う。私もそうだった。
年配の人だと、大岡越前の時代劇をテレビで見ていたりして、少し馴染みがあるかもしれないが、私は全く浅いので、「誰?」って感じだった。
しかし、そんな初心者の私も置いて行かない、丁寧な噺の進め方を松之丞はした。
大岡越前とは何者か、そんな越前が生涯許さなかった三人の男がいる、そのうちの一人の村井長庵、表と裏の顔を持ち合わせていて、、、
噺の展開に合わせ、照明がジワーと暗くなる。うす気味悪い笑みを浮かべた村井長庵が目の前にいるような錯覚に陥る。ジトジトと雨が降る夜、田んぼで一人の女が殺される。
見たことはないのに、目の前にその情景が鮮明に浮かんでくる。
終わったあと、もう、何も言えなくなっていた。ヤバイものを見てしまった。こんなに話を聞きたいと思った人は初めてだった。
7月の蒸し暑い夜だったが、怪談話でひんやりとした、その感覚も初めてだったし、こんなにも目に情景が浮かぶなんて衝撃で、う、うわぁぁと思いながら帰った。
そこからは、過去のCDを聞いたり、ラジオを聞きあさったり、チケット争奪戦参加の日々だ。一部の主催会社によっては、25歳以下に割引が聞いたりするので、発売時間と同時に申し込み、何とかチケットを獲得し、ちょうど一か月後の神田松之丞の独演会にいる自分がいた。
連続物などやられたら、噺の続きが気になってしょうがない。でも人気過ぎて確実にチケットを取れる保証は全くない。運である。
「お時間がいっぱい、いっぱいということで~」というあの最後の常套句、本当にずるいものである。
そんな中、2月十二日、松之丞としては最後の独演会に行くことができた。昇進前夜とあって、会場である読売ホールは今か、今かと登場を待ち望む人で溢れていた。
いつも通り、猫背の松之丞が舞台袖から登場し、釈台の前にすわる。始まった。
一つ目の噺は「山田真龍軒」。宮本武蔵が登場し戦う王道の講談話。テレビでも演じているのも見ていたが、生で、しかもオチまで聞くことができた。キレキレの戦シーン、張り扇で再現する様にはめちゃめちゃ華がある。
二つ目は「桑原さん」という、ほぼ封印されていた松之丞が書き下ろした新作講談。落語のような滑稽さと、リズムよい現代風なキャラクターの噺に、笑わされる。しかも「もうこれにて、一生やらないでしょう」と言われて、切なさと、この瞬間に立ち会えた貴重さに感銘って感じだ。
そして、人間国宝である神田松鯉師匠が登場し、赤穂義士の「大高源吾」をはなす。
圧倒的な落ち着きのある語り口と、ずっしりとした姿勢。
この日が2月14日で、前の「桑原さん」で松之丞がバレンタインが近いと触れていたことを踏まえてか、14日が月命日にあたる赤穂義士の噺をしていて、粋だなぁとしみじみした。
仲入りを挟み、ほんとに最後の松之丞の講談が始まった。「淀五郎」という、江戸時代に歌舞伎の世界で、芸に生きる主人公が登場する。
大きい役を演じるチャンスをつかむも、なかなか思うようにいかない、同じ演者に怒鳴られる日々、絶望の中訪れた先輩役者の言葉で、前に前に頑張って、、、。
お察しの通り、松之丞のこれまでとこれからに重なる噺である。胸が熱くならないわけがない。ぐっと引き込まれ、最後のシメの言葉の後は拍手が鳴り止まない。
会場に師匠と共に再び登場し、
「明日からどんなマインドでやればいいんですかね」
と師匠に質問する。
「ん?耳が遠くて聞こえなかった。」と師匠は笑いを誘いつつ、
「いつも通りにやればいいですよ」
と答えていて、わーなんか、ステキな関係だなぁ。師匠あってのなんだなぁと感動した。なんか、泣きそうになった。
そんな旧神田松之丞は、真打という弟子を持てる階級に昇進し、伯山という名前を襲名された。真打披露興行という披露目が連日、東京の4か所の寄席で行われている。整理券が早朝から配られ、昼間からのこのこ行っても、よくて立ち見らしい。
なかなか一日予定をあけて、見に行くのは難しいけれど、絶対に見に行って、三本締めで祝いたい。そしてあの感動を味わいつづけたい。
ちなみに、チケットがもっと取れなくなると困るので、周りの人におすすめするつもりはない。
最後の独演会。SNSで拡散してもらう為に写真オッケーだった。